2011年12月21日水曜日

坂本龍馬脱藩の道

土佐の高知から梼原、伊予の大洲、そして、長州の下関へと至る道のり

「坂本龍馬脱藩の道」は、土佐の高知から梼原、伊予の大洲・長浜、そして長州の下関へと至る道のりです。最終目的地は、下関の白石正一郎邸です。この脱藩の道は、龍馬が脱藩するとき、高知から下関まで同行した沢村惣之丞(さわむら そうのじょう)の口述を記録した文書に基づいて、愛媛龍馬会の阪本孝之氏、福井清氏、村上恒夫氏が解明され、村上恒夫氏によって『坂本龍馬脱藩の道を探る』『歩いてみよう坂本龍馬脱藩の道』が出版された。

高知県梼原町

韮ヶ峠の案内版


幕末の英雄・坂本龍馬は、沢村惣之丞とともに、文久2年(1862年)3月24日高知を出発し、25日に梼原に到着。その夜、梼原の勤王の志士「那須俊平・信吾父子」の家に泊まり、翌26日未明、俊平・信吾父子の道案内により、宮野々番所を抜け、四万川茶や谷の松ヶ峠番所を抜けて、予土境・韮ヶ峠を越えて伊予の国(愛媛県)に脱藩しました。

信吾は韮ヶ峠より引返したが俊平は同行し、小屋村(旧野村町)、水ヶ峠(旧河辺村)を経て泉ヶ峠(旧五十崎町)に宿泊、27日宿間村(五十崎町)に着いた。

俊平はここから引返した。龍馬、惣之丞は船便にて長浜町へ。その夜、富屋金平衛宅に泊まり、28日船で2日を要して三田尻(山口県)へ到着しました。

また、梼原町の大庄屋・吉村虎太郎を始めとする勤王の志士十余名は、宮野々番所より西方の九十九曲峠を越えて脱藩していった。

韮ヶ峠の案内版「韮ヶ峠脱藩志士」より

詳しくは、坂本龍馬脱藩の道ポータルサイト「脱藩の道.com」をご覧ください。

▼韮ヶ峠

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